2016年 10月 15日
「うちの会社は変わっている」は危険 |
いろいろな企業の方達と接している中で、ふと気づいたことがあります。
大半の方達が、「うちは特殊だから・・・」「うちの会社は変わっているから・・・」とおっしゃるのです。私から見ればそう異質な組織に思えなくとも、ご本人達はしばしばそのようにおっしゃいます。
実際に変わっているのか変わっていないのか、は一律の物差しがあるわけではないので何とも言えません。ある人が見れば変わっていても、別の人が見ればごく普通、という可能性もあります。
ただ、私が気になっているのは、実際に変わっているのか変わっていないのかという評価ではなく、「変わっている」という考え方そのものです。この考え方、場合によっては結構危険だからです。具体的に言うと、「変わっている→だから(問題があっても)うちの会社はしょうがない」という、思考停止状態を招きかねないのです。
わかりやすい例として、サービス残業を挙げてみましょう(ハラスメントでも情報漏洩でもみんな同じですけれど)。
数十年前ならいざ知らず、現代ではサービス残業は多くの企業が問題視しています。実際にサービス残業がゼロになっているかどうかはともかく、多くの企業では、どうにかしてサービス残業を減らそうと尽力しています。ところが、そこで「うちの会社は変わっている。特殊」という話がでてくると、「ま、うちならしょうがないか。特に対策する必要なし」という安易な結論に陥りがちなのです。
人間、誰しも面倒くさいことを考えるのはいやなものです。自分が好きで関心ある分野ならまだしも、あまり見たくない事実や問題事象というのは、できるだけ目をそらしたくなります。考えなくて済むなら考えたくありません。思考停止は実は魅力的なのです。無意識に自分を思考停止に導こうとしてしまうこともあります。ですから、あまり認めたくない、考えたくない「サービス残業」という事象が実際に発生しているときに、それを直視することを回避させてくれる「うちの会社は変わっている・・・」が出てくると、ついつい飛びつきたくなります。でも、やはりそれは安易な対処です。そんなことをしていれば、いずれはツケが回ってきます。「変わっていようが変わっていまいが、だめなものはだめ。社会的に許されないことを『変わっているから』という身勝手な屁理屈で正当化することはできない」という正しく厳しい判断と対処をしなければなりません。
「うちの会社はごくありきたり。どこにでもあるような特徴のない人畜無害のつまらない会社」とは、誰だってあまり考えたくないものです。ですから、潜在的に、誰しも「うちの会社は変わっている(=オリジナリティや特徴がある)」と考えてしまうことは、ごく自然です。それ自体を否定する気はありません。ただ、場合によっては「うちの会社は変わっている」は、邪な錦の御旗になりかねない一種の危険思想である(ちょっとおおげさかもしれませんが)、という点も認識しておくことが欠かせません。
大半の方達が、「うちは特殊だから・・・」「うちの会社は変わっているから・・・」とおっしゃるのです。私から見ればそう異質な組織に思えなくとも、ご本人達はしばしばそのようにおっしゃいます。
実際に変わっているのか変わっていないのか、は一律の物差しがあるわけではないので何とも言えません。ある人が見れば変わっていても、別の人が見ればごく普通、という可能性もあります。
ただ、私が気になっているのは、実際に変わっているのか変わっていないのかという評価ではなく、「変わっている」という考え方そのものです。この考え方、場合によっては結構危険だからです。具体的に言うと、「変わっている→だから(問題があっても)うちの会社はしょうがない」という、思考停止状態を招きかねないのです。
わかりやすい例として、サービス残業を挙げてみましょう(ハラスメントでも情報漏洩でもみんな同じですけれど)。
数十年前ならいざ知らず、現代ではサービス残業は多くの企業が問題視しています。実際にサービス残業がゼロになっているかどうかはともかく、多くの企業では、どうにかしてサービス残業を減らそうと尽力しています。ところが、そこで「うちの会社は変わっている。特殊」という話がでてくると、「ま、うちならしょうがないか。特に対策する必要なし」という安易な結論に陥りがちなのです。
人間、誰しも面倒くさいことを考えるのはいやなものです。自分が好きで関心ある分野ならまだしも、あまり見たくない事実や問題事象というのは、できるだけ目をそらしたくなります。考えなくて済むなら考えたくありません。思考停止は実は魅力的なのです。無意識に自分を思考停止に導こうとしてしまうこともあります。ですから、あまり認めたくない、考えたくない「サービス残業」という事象が実際に発生しているときに、それを直視することを回避させてくれる「うちの会社は変わっている・・・」が出てくると、ついつい飛びつきたくなります。でも、やはりそれは安易な対処です。そんなことをしていれば、いずれはツケが回ってきます。「変わっていようが変わっていまいが、だめなものはだめ。社会的に許されないことを『変わっているから』という身勝手な屁理屈で正当化することはできない」という正しく厳しい判断と対処をしなければなりません。
「うちの会社はごくありきたり。どこにでもあるような特徴のない人畜無害のつまらない会社」とは、誰だってあまり考えたくないものです。ですから、潜在的に、誰しも「うちの会社は変わっている(=オリジナリティや特徴がある)」と考えてしまうことは、ごく自然です。それ自体を否定する気はありません。ただ、場合によっては「うちの会社は変わっている」は、邪な錦の御旗になりかねない一種の危険思想である(ちょっとおおげさかもしれませんが)、という点も認識しておくことが欠かせません。
by sendanaoto
| 2016-10-15 12:16
| 思考停止
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